山田耕筰雑感-id:kojitakenさんに宛てて

私の好きな音楽家
藤井清水だということは
ご存知の方は・・・いるかな(爆

まぁいいや。

この人、
山田耕筰
「自分が5年かけて留学して学んできたことを、日本にいながらにしてすでに完成させている」と言わしめたほど
とっても日本的な作曲家だった。

山田耕筰
セノオ楽譜のことを紹介したりして
交流はあったみたいなのよね。

つい最近は
荒城の月編曲問題に
首突っ込んでいますが

問題の経過を見るにつけ
常々思うことがありまして。


もしかして、だよ。

山田耕筰という人は
地味に劣等感に苛まれてたんじゃないのかなあと。

確かに赤とんぼとかこの道とか
日本人の耳に残る曲を作り上げたのは凄いと思う

思うんだけどもさ。

「すばらしい作曲家」
というのは横においといて
「日本的な作曲家」
という評価は・・・最近首ひねってるのよねー正直。

いくら作っても
どこか西洋風

なんだろ、
雰囲気的に「君が代」と同じ感じの。

荒城の月も
今のところは推測の域を出ないけども

伴奏をつけた時点で半音下げたのは
「絶対こっちのほうがいい」という自信は
どこかにあったと思うんだ。

でもやっぱり引けはとっていて
自分の名前を入れることができなかった

ちゃんと名前を「編曲:山田耕筰」のように入れていたら
おそらく、ここまで問題視されなかったと思うんだよー。

荒城の月自体もヨナ抜きじゃない
シャープをつけたのは
やっぱり危うさをつけることで
日本の音楽としての繊細さを持たせたかったんじゃないのかなとか
思ったりしちゃったりしてねー。


この人、
城ヶ島の雨」とか「砂山」とか
ひとつの詩に何人もの作曲家が曲をつけるパターンに首突っ込んでる

けど正直
城ヶ島の雨は梁田貞だし、砂山は中山晋平のほうがいい。

最後まで日本的なものについて
理解に苦しみ続けた人なんじゃないかなという気がしてきた


・・・あー、伝記読みたいorz